横浜での幼少期から人の繋がりを感じた学生生活
私は横浜生まれの横浜育ちで、地元愛の強い生粋のハマっこです。 幼少期から早く大人として自立して自分で欲しいものを手に入れたい。早く自力で稼ぎたいと感じていました。当時は、ひたすら塗り絵や折り紙など一人で自分に向き合う作業に没頭したり、歌う事が自分にとって癒しでもあり、小学校は合唱同好会、中学も合唱部、高校では軽音楽部で歌っていました。
高校では文化祭実行委員としても活動して、人と繋って一つのことを成し遂げる事が好きでした。幼少期は一人で遊ぶのを好んでいましたが、徐々に人と共に創り上げる事に喜びを感じ、本当の絆の意味を覚えた時期でした。同級生や先輩、後輩との絆を感じて、血が通わずとも家族の様に思える友人に恵まれました。同じ情熱を持つ有志が集まりメニューを考えたりユニフォームを作り、皆で何かを創り上げる事が今の活動にも繋がっていると思います。当時から自分の居場所、拠り所がある事が人の心の支えになると信じて、漠然と将来には街のコミュニティーとなるお店を開きたいと願う様になりました。
美容業界で学んだ接客の本当の価値
社会人経験としては、高校卒業後、資生堂に入社しました。周りからは安定感のある公務員を勧められましたが魅力的に思いませんでした。人との繋がりを重視し人の夢を叶えたい。美容業界に携わる事により、”美” を通して人が目覚めて綺麗になるきっかけを作り、その変わる瞬間を見たいと。それで資生堂の入社を決めました。
当時、美容部員でしたが(現ビューティコンサルタント)研修後に3つの部署のどちらかに配属が決まります。街の小さな薬局を扱うチェーンストア部署。イトーヨーカ堂、イオンなどに派遣される量販店部署。最後に百貨店部署。百貨店は資生堂の看板を背負う華形部署でしたが、新人の中では私と他1名が配属され、某百貨店で勤務しました。女性独特の厳しい世界でもあり私自身鍛えられましたが、そこには先輩から後輩に受け継ぐ文化がありました。私も後輩からは慕われて良い関係を築けましたが、そこで養われた後輩への育成方法は今の人材育成、起業家を発掘する教育事業に大きく活きていると感じます。
資生堂の後も、百貨店からの引き合いがあり、外資系化粧品ブランドや化粧品以外でもインポートブランドのブティックや宝飾品など接客経験を活かした分野に携わりました。おもてなしとして人と接する際、目に見える商品を売るだけではなく、物を買って頂く事の “楽しみ”や “充足感”といった商品以外の付加価値の提供を強く意識しました。そのリターンとしての本当に喜ばれた時のお客様からの感謝の言葉やお気持ちを返していただき、私自身も満足感が得られその感覚が今の仕事にも繋がっています。
接客での葛藤から独立を決意。サロンの開業へ
接客の際に感じ続けた事として、キャンペーンだから同じ商品を多数の人に売るのではなく、そのお客様一人一人の事をよく考えて、必要な人に、必要な時に、必要な物を提供する。一人一人にしっかり寄り添い100人居れば100通りの提案をしたいと思ったのが独立のきっかけでした。商品を買うまでのプロセスが大切と考え、そのお客様の生活スタイルから嗜好、問題、悩みが人それぞれある。その背景を把握せずに、誰にでも同じ商品を売る事が私の心に引っ掛かりストレスを感じ、葛藤が生じていたのです。
それを解消するには自身のお店を出して、かかりつけサロンを作ろうと。何か困ったら私のところにオープンマインドで来てくれたら、その解決の糸口をお客様と一緒になって探す自信があったのです。家庭でもなく職場でもなく第三の場所が必要と考え、居場所、拠り所、コミュニティーさえ見つかれば人は生きていけると信じています。その方にとっての救世主、かかりつけの駆け込み寺的なサロンを作ろうと決心したのです。
私は少しでもその人の人生の伴走者、アンカーになりたいと考えています。その方の前でも後ろでもなく、横に並んで共に走って行きたい。一人で問題を抱えて塞ぎがちになるのを自分の口からアウトプットして相談しないと始まらない。一緒に考える人がいたら心強く心が軽くなる。初めはその方のお話しをゆっくりと傾聴するだけでも、何かしらのお役に立てるはずです。
美・健康・癒しのトータルサロン オアシスデラーナ
横浜で地域密着の美・健康・癒しのトータルケアサロン
2008年、横浜に地域密着型のフェイシャルエステサロンを開業しました。開業当時は2人を雇用して従来のサロンのイメージである高級、贅沢感というより、敷居が高くない気軽に相談出来るシンプル、ナチュラルなサロンを目指しました。サービスは、フェイシャルとメイクアップ、リラクゼーション的なボディーケアを提供して、美・健康・癒しのトータルケアサロンを運営しています。
当時、サロンでの人材育成が私の役割と感じ重視していました。ただ、結果として”人材育成” が人生の一番の難関だと気づかされました。人が増えれば増える程、現実には課題が生まれ、思い通りにいかず、人と傷つけ合うのが隣り合わせなのです。経営者としてどの様にその課題を采配するか常に試されていました。
十分に育てても独立して辞められる場合もあり、入れ替わり立ち替わりであれば、共に歩む右腕が育たない。ましてや運命的な戦力と巡り会う事など困難であると気づき、その様なパートナーは一生出来ないかもと痛感しました。人材育成に期待をした分、平穏でもない嫌な思いを多く現実として痛感した。それでも、何故か諦めきれなかった。人に嫌な思いをしているのに、人間不信になりかけ、それでも人とやりたい。一緒にいたい。人を癒したい。人にフォーカスし続け、独立起業して5年目も継続出来ているのは、結局私は”人” が好きだからなのだと腑に落ちたのです。
実は、その苦悩の時期に現れた人物がいました。昔からそばにいた方でした。スタッフではありませんが、違う視線で私の葛藤、行き詰まりを近くで見続けていた人がいたのですが、その方が今のパートナーです。その大変だった時期に、いよいよ私も手伝おうかなと言ってくれたのです。
そのタイミングを機に様々な変化が訪れ、まずは設立6年目でサロンを同じ地域内で移転リニューアルオープンをする流れになりました。それは彼女が入ってくるタイミングで、サロンの隣にビルが建つ話があり、その建設期間の騒音、振動にお客様を我慢させる訳にはいかないと。応援してくれる人がいる同じエリアで、そこでもご縁があったオーナーさんのビルの1階に移転しました。今では移転して早くも10年経過します。
またそれ以降は人の募集を辞めてパートナー制度を取り入れました。雇用関係を持たない仕事のチームを作り起業支援を事業化しました。雇用されたくなく、起業したいけどいきなり法人化に不安や迷いを感じている人をサポートし、起業塾やシェアサロンを提供して業務委託契約としてお互いに独立した個人事業主とパートナーシップで働く体制をここ10年ほどで築きました。
小野寺 知恵さん
HIMEMIKOブランドを通して輝く人生に貢献を
現在のサロンは、人と人を繋ぐ地域のコミュニティーとしてトータルケアをテーマに運営しています。一般的なエステサロンとしての15年前のカラーから随分変わりましたが、地域の拠り所、駆け込み寺的なサロンとしてより進化しています。”心” と”体” と”魂” は三位一体。そのすべてをケアするサロンという意味でのトータルケアなのです。
それを象徴しているのが、人生初のオリジナルブランド”HIMEMIKO®︎”お守りハンドクリームです。コロナ禍に誕生し、もうすぐ2年になろうとしています。将来的には何を実現させるにも、このHIMEMIKOが橋渡し役となり、手から手へと伝わることで人々の自己実現に繋がり、居場所づくりで人が集まれば更に何かが生まれると考えています。
HIMEMIKOブランドが人と人を繋ぐツールとしてお役に立てる。”心”と”体”と”魂”を整えてケアするのが人にとって重要と考えます。目標や夢を叶えるには、この3つが整っていないと実現が難しいのです。やりたいことを形にするための一助を担う、HIMEMIKOのハンドセラピーでもあります。
今後はより多くの人にHIMEMIKOを手渡していき本来の自分の魅力に気づいてほしいと思います。誰しも潜在能力を持っているけど活かしきれないのは、環境と人次第で変われると思います。思考が邪魔をして無理だと思ったり、もう歳だと諦めやすいですが、現状維持だけでは衰退の一途であり、もっとこれがやりたいというポジティブに生きる意欲が必要かと思います。
このサロンに来てよかった。こんな話をしてもいいんだと思って頂きたい。そこには具体的なお仕事にも繋がるHIMEMIKOEもある。HIMEMIKOを見ると皆さん興味を持って聞かれる。これはこんなふうに役に立ちますよと情報を与えたら自分でも出来るかもしれないと思って更に行動したくなるのです。お婆さんほどの年齢でも目覚めることは出来ます。単に着飾るのではなく、目がキラキラと輝き出す目覚めの瞬間が”本当のビューティー”だと考えます。
ようやく若い頃の美の様々な経験からここに辿り着いた感がして、今後も多くの人々の輝く人生に貢献していきたいと思います。
小野寺 知恵さんのプロフィール
会社:earth&Y合同会社 代表
サロン住所:神奈川県神奈川区入江2-4-34 1F
ウェブサイト:https://oasis-de-rana.net
出身:神奈川県横浜市