完全紹介制、経営者向けインタビュー

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大賀俊勝氏 MUGAWAY合同会社「何年経ってもお洒落であり続ける家づくりを​」

インタビュー運営会社:Passion & Partners Japan 合同会社

島根から大阪へ移転した幼少期

Q : どの様な幼少期をお過ごしでしたか?

私の生まれは島根県で山間部の小学校に通っていました。同級生の中では私1人が男で、残り3名は女子の合計4名、全校生徒が21人の小規模な小学校で育ちました。周りの女子友達の家で遊んだり、その兄とファミコンや釣りをしたり、自然に恵まれた環境で順風満帆な生活を送りました。

姉と弟、妹がいますが、小学5年生から大阪平野区に引っ越しました。方言も違うし同級生の数も圧倒的に多い環境に初めは馴染めず、周りとは仲良くなれず浮いてたと思います。私の家系は皆背が高く、私も中1では169cmありましたがその体格を活かして自信を付けたい為か、母からの勧めもあり正道会館に入館しました。平野区に住み天満のジムまで電車で通っていましたが、当時はK-1が始まり人気絶頂だったアンディーフグや佐竹さん達もジムに在籍していました。

大工をしながらプロボクサーの道へ

Q :その後、プロボクサーを目指した経緯を教えて下さい

天満まで行くのは結構大変でして、中学は部活に入らず地元の平野区でボクシングジムに毎日通い始めました。スパーリングをしてもあまり負けませんでしたので、初めは馴染めずにいた周りからも次第に慕ってもらえる様になり、仲間と交わる楽しみ方を徐々に覚えました。

中学卒業後は、高校進学も考えミュージシャンにも憧れましたが、結果的にジムの会長が紹介してくれた大工の仕事をしながら、ボクシングで世界チャンピオンを目指しました。周りが高校で遊んでいる中、厳しい会長の元毎朝10キロ走る日々でしたが、どうにかプロテストに合格しライセンスを取得して職業としてプロボクサーになりました。当時は辰吉丈一郎さんにも気にかけて頂き、遊びに連れてもらえた良い思い出もあります。チャンピオンになる為に全て犠牲にする根性がなかった為、結果的にチャンピオンにはなれませんでしたが、まだ未熟な部分もあった私を育てて頂いた当時の環境には感謝しています。

サーフィンを通して平塚、ゴールドコーストへ移住

Q : プロボクサーの後はどの様な経験をされましたか?

17歳の時、先輩に連れられて和歌山の磯ノ浦でサーフィンも始めました。車の免許も取得して18歳の時に本気でサーフィンの道を進もうと決意しました。プロサーファーを真剣に目指そうとそれなら大阪ではなく神奈川の平塚に23歳の時に移り住みました。平塚には車関連の仕事に就業して4ヶ月程滞在しました。その後、更に本格的に世界を舞台に挑もうと、その歳でワーキングホリデーを利用してオーストラリアのゴールドコーストに移住したのです。

現地では様々な仕事を体験しました。マグロ漁船に乗ったり、農家でズッキーニなど収穫をするピッキングの仕事も経験。バケツの数で歩合で給料が決まるのですが、私は足腰が強かったので記録を更新する事もあり、また現地に大きな毒蛇がいるのを知らず裸足で走り廻ってバナナをピッキングして、現地の人には引かれていました。笑 

当時サーフィン中に運転していた車の中のトランクケースが盗難され、銀行口座開設前であった為、手持ちの現金、クレジットカード、パスポートまで全て無くなる災難がありました。流石にヤバいと思いましたが資金ゼロの状態から、ある程度給料もよく必死で稼いだ事で、資金やパスポートが出来てどうにか復活出来たのです。

その後は、サーフィンをしながらサーフボードを削る仕事でビジネススポンサビザを得ることが出来て、結局2年半程オーストラリアに滞在しました。その後帰国、自営として大工業の開業を経て結婚。その後も何度もバリにサーフィントリップに行く事でローカルの友人も増えていきました。サーフィンを通してオーストラリア人やバリ人など海外での人脈が今の仕事の礎にもなっています。

日本、オーストラリア、ベトナムでの事業展開

Q : 現在の事業内容を教えてください

個人事業主として26歳から大工の仕事に携わっていましたが、現法人は起業して4期目となります。工務店として国内での注文住宅の施工と販売がメイン事業となりますが、最近ですと行政の出資によって、地域の” 空き家群の集落” をスマートコミュニティーに替える構想でも活動しています。アトリエをクリエーターさんのシェアハウスとして貸して利用して頂きます。また彦根の松原海岸や鎌倉の土地の事業計画も並行して進めています。

更に今、オーストラリアでの法人化を進めています。ガーディアンビザという画期的な制度がありまして18歳迄のお子様をオーストラリアに就学させる事により、親一人も現地で就労が可能になるビザです。それにより親も子もグローバルな人間に育ち、お子様は18歳で帰国する際には英語も話せて親はモノづくりの愉しさを海外で体得出来る。その先は帰国しようと世界に出ようと、どちらでも結果的に日本の技術は継承されて残り続けるのです。

またベトナムでも農業に着手する予定です。ベトナムは三期作のコメ大国であり日本の中小企業の社長から地元で農業をやらないかと提案された事で実現しています。食糧不足が将来起こる可能性があったとしても、ベトナムで農地を確保してのコメの備蓄をできる事は魅力的に感じます。この事業も昔の海外生活が活かされて、当時知り合った人脈を駆使して今は活動出来ているのです。

ここまで海外事業にも積極的に展開する工務店は多く無いかもしれませんが、オーストラリア、ベトナムでのローカルスタッフと共に日本側では不動産、デザインプロデューサー、設計士などチームのご協力があってこそ事業が成立しています。

日本の職人さんの仕組み、マインドを変えたい

Q : 将来的にはどの様なビジョンを描いていますか

今の私の原動力となっているのは「世の中の仕組み、職人のマインドを変えたい」そんな想いからです。大工など職人さんはインシュリンを打ち体に鞭打ちながら働いている職人が多いのです。それに気づいている若者達は職人への憧れ、定着率はどうしても低下してしまいます。

ところが、オーストラリアだと塗装や大工などの個人事業主は “ソウルトレーダー” と呼ばれ、仕事に誇りを持って楽しんでその魂を売っている。という意味を持ちます。プライベートも十分楽しんで日本の職人への感覚やイメージとは違う印象を受けます。日本の現場の若い子は好きで仕事をしている人はあまり多くなく、毎日が楽しいというより対価の給与を貰うためだけに仕事をしている。その日本の職人文化を良い意味で壊したいのです。インドネシアの建設業の人も楽しんでいる感じがします。日本が何かおかしい、これをどうにか改善してやろうと思っている訳です。

将来的に私は60歳で仕事からは全て引退したいと考えています。大好きなオーストラリアで魚を釣ってのんびり過ごしたいのです。55歳までが投資家ビザの年齢制限ですので、それまでに再移住を果たしたいです。国内のインフラが充実するのも、職人の方が汗水垂らして働いて陰で支えているからなのです。その職人さんのご苦労を見て見ないフリをして蓋をするのではく、直視してより魅力ある仕事に変えていく。自分の資金が続く限りこの活動は、今後も続けて行きたいと考えています。

大賀俊勝さん

有難うございました。ご自身の国内外での経験や人脈を活用して、”職人”の生き方をより魅力的に変える。その一心の想いでご活動されるお気持ちが伝わりました。今後の更なる展開を愉しみにしています。

大賀俊勝さんのプロフィール

会社:MUGAWAY合同会社 代表

会社住所:神奈川県平塚市大神1770 204

出身:島根県

ウェブサイト: https://www.mugaway.net

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