スポーツに打ち込んだ幼少期から学生時代
✅ どの様な幼少期から学生生活を過ごされていましたか?
幼少期は大阪、堺の泉北ニュータウンで育ちました。小さい頃は公園で父とよくキャッチボールをしていたことを覚えています。小学校4年生の頃から地域の少年野球チームに所属し、最上級生になった時にはエースで四番、キャプテンを任されました。割とお山の大将的な存在だったかもしれません。
中学生になると、坊主頭に嫌気がさしたのと、少年野球チームでバッテリーを組んで憧れていた先輩がサッカー部に所属していたので、自然の流れでサッカー部に入部しました。さらにその先輩を追いかけて浪速高校に進学。なかなかピュアな思春期を過ごしました。
小学校から高校まで、キャプテンや副キャプテンといったリーダー的な役割を任されることが多かったからか、自然と将来は学校の先生になる願望を抱いていましたが、神戸大学教育学部の入試に落ちて結果的に甲南大学経済学部に進学したこともあって、教師願望は次第に薄れていきました。
松下興産で東京勤務からゴールドコーストへ
✅ 松下興産ではどの様な経験をされましたか?
就職活動は、スポーツメーカー、不動産ディベロッパー、ハウスメーカー等を中心にエントリーしました。その中から、ご縁を頂きました不動産ディベロッパーの松下興産に入社しました。約半年間の研修を経て東京支店に配属。馴染みもなく友人も居ない関東より関西に戻りたいという願望を抱えながら、当時寮のあった鎌倉から、マンション販売現場である千葉ニュータウンまで、片道2時間半の通勤を続けていました。
その後、千葉の幕張、埼玉の浦和と、マンション販売現場にあわせて転居しながらマンション営業という仕事を約10年続けましたが、将来に対して夢や希望が描けず、悶々とした日々を過ごしていました。その過程で、何とか人生に活路を見い出す為に、25歳頃から海外事業への配属を希望し続けていました。
その結果、32歳になった頃にたまたまタイミング良くチャンスが訪れて、念願の海外赴任を果たしました。そしてその経験が、その後の人生の大きな転機となりました。
✅ 海外駐在員の生活は実際どうでしたか?
赴任先はオーストラリアのゴールドコースト。住居も車もあてがわれ、快適で恵まれた生活環境でした。自宅のリバーサイドコンドミニアムのバルコニーから、夕陽が沈みつつクルーザーが行き来する光景をワイン片手に眺めていたとき、「ああ、この瞬間がおそらく人生のピークなんだろうな。。」そんなことを考えていました。
駐在員としての任期は通常4年程度で、私もそのつもりでいたのですが、赴任して1年が経過した頃、勤務していた会社がアメリカ企業に買収されることになり、私も帰国しなければならなくなりました。志半ばでの帰国を私は受け入れることができず、退職を決意しました。
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オーストラリアで退職後、クリードでの経験
✅ 松下興産退社後はどの様に生活されていましたか?
ゴールドコーストには、日本で成功し、別荘を所有する日本人の方々が多くおられたので、まずはその方々に向けたサービスを提供することで何らかのビジネスになるのではないか?と考えていました。
退職してから約半年ほど、何とかオーストラリアに残りたい一心で手を尽くしましたが、まだまだ未熟であったため願いは成就せず、日本に帰国して再スタートを切ることになりました。
✅ 帰国後のクリードでの再就職は如何でしたか?
2005年に帰国して、クリードという不動産投資ファンド会社に入社しました。海外駐在員経験がある為、海外マーケットの開拓を視野に入れていたクリードに受け入れて頂いたのだと思います。ポテンシャルがあるにも拘らず、何らかの理由で収益性が低い物件を仕入れ、バリューアップして不動産価値を高めるというビジネスモデルは新鮮で、その後に独立を決意するための知識や経験を得ることができました。
クリードには丸3年勤務し、独立起業するために退職しました。駐在員のような立場ではなく、自分の力で成功を収め、またオーストラリアに戻りたい。そんな気持ちが原動力であったような気がします。
独立起業、飲食店経営から破産宣告を経験
✅ 起業後のさまざまな経験をお聞かせいただけますか?
退職後すぐの2008年10月に法人登記を済ませ、渋谷区千駄ヶ谷にオフィスを構えました。当初2年くらいは不動産仲介などで凌ぎ、2010年からは、様々なご縁がきっかけで、港区虎ノ門にカフェやシェアオフィスなどが混在した複合施設の運営に携わることになりました。
2011年に発生した東日本大震災がきっかけで、北海道美瑛町さんにシェアオフィスを借りていただくことになり、また当時「日本で最も美しい村」連合の事務局が美瑛町に設置されていたことから、全国の地方自治体やその関係者の方々が立ち寄ってくださる機会が増え、瞬く間に人脈を構築出来たことが大きな財産となりました。
そんなネットワークを活かした飲食店を運営したいと考えた私は、2014年に自己投資で店舗づくりに着手しました。しかしながら、このことが引き金となって複合店舗の運営が立ち行かなくなり、破産宣告、離婚、ホームレスを経験することになりました。
✅ 自己破産からどの様にして立ち直りを図りましたか?
そんなどん底から立ち直ることができたのも、人的なネットワークがあったからだと思います。あることがきっかけで地方創生の仕事に携わるお話をいただき、もう一度やり直すことを考え始めました。そこから自身の気持ちを整理するために、破産時にご迷惑をおかけした債権者の皆さんに連絡をしてお詫びをし、少しずつ償っていくことを約束することで後ろめたさなどもなくなり、これからも堂々と世の中を生きていこうと決意することができました。あのタイミングでなければ決意できなかっただろうと、今でも思います。
日本の持つポテンシャルを引き出したい
✅ 再スタートの事業は、どの様な構想をお持ちですか?
「再スタートを決めた限りは、破産を経験した自分にしかできないことをやろう。」と思い、まず着手したのは、銀行口座を作る、代表取締役として再び会社を設立する、宅建士の資格を復活させる、といった行為がどこまでできるのか?ということを自分自身で確かめることでした。そして結局、できないことはクレジットカードを作ることだけだということが分かり、未来に対して希望を持つことができました。2015年に新しく法人を立ち上げ、2008年に初めて独立した時と同じ10月1日を法人設立日としました。そこからは、東京の神田をベースとして活動し、2017年に宅建業免許を取得、2018年に民泊新法が整備されたことをきっかけに、民泊運営や旅館業へと事業を展開していきました。
「未来を生きる人たちに何かを残せる仕事がしたい。」そんな気持ちを強くした私は、これまでの経験やネットワークなどを活かしてできることは何か?ということを模索してきました。
都市部と地方の関係性が問われ、人口減少、空き家問題などが顕在化している中で、今も日本に残されているアセット(資産・財産など)に焦点を当て、ネットワークを構築して価値の最大化を図る。そんなプロジェクトにチャレンジしたいと考えています。
そのような想いの根底にあるのは、一度海外に出て、外から日本を見た経験から、改めて日本の素晴らしさを感じているからです。日本には何となく閉塞感があって、自信が感じられない印象もありますが、世界から見ると、日本は旅行先として行きたい国の上位に常に入ります。「日本で最も美しい村」は、その魅力溢れる日本を、国内はもとより、世界に伝える素晴らしいコンテンツだと考えています。このプロジェクトは、私の人生の集大成。不動産、金融、自治体の方々とのネットワークなどを活かしたキャリアの最終的な集約として今後も進めていきます。
合同会社美しい村づくりプロジェクト https://www.visit.utsukushii-mura.jp/
✅ 今後の仕事に向かう原動力となる考えや想いはありますか?
過去の失敗によって絶望の淵に追い詰められましたが、幸運にも人生をやり直すチャンスが与えられ、今は生かされている。そんな想いがありますから、これからの人生は、未来を生きる人たちにギフトを残せるようなことがしたいと考えています。いろんな課題がある一方で、世界からも評価されている日本。そこで暮らす日本人ひとりひとりが幸せを感じながら生きることができる社会づくりに貢献したいと思います。そして自分自身としては、「ああ、いろいろあったけど楽しい人生だった。」と笑って振り返ることができるようにしたいですね。
HOTEL & OFFICE Omotesando Stories は正に表参道交差点の目の前の抜群の立地です。
お話し有難うございます。日本の美しさ、地方の付加価値を高めて日本国内、海外にその魅力を更に伝えていく。その構想への熱い想いと、人との信頼を重要視して大切にされるお人柄をお会いして感じる事が出来ました。プロジェクト詳細は以下からもご確認下さい。
美しい村クラウドファンディング
https://funding.beautiful-village.co.jp/
DXコミュニティ「美しい村DAO準備室」を開設 プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000101482.html
北山幸朋さんのプロフィール
会社:株式会社 JAPAN PROPERTY nationwide 代表取締役社長
ウェブサイト:https://jpnationwide.com/ja/
会社住所:東京都千代田区神田美土代町3-4 ニュー楓ビル1階
出身:大阪府堺市 甲南大学 経済学部卒