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社長の華. GLOBAL

佐野昭子氏 株式会社プリサージュ 「おもてなしの心とホスピタリティ事業」

お話し好きな母と剣道八段の父との札幌生活

 北海道で育ったとの事ですが、どの様な幼少期でしたか?

東京生まれですが、3歳から高校までは札幌で過ごしました。一人っ子で、小さい頃は、人見知りで大人しい子でした。私が話さなくても、母がお喋りでよく話すので、いつも私が聞き役だったのです。母親と一緒に歯医者さんに行った時も、先生が私に痛い所を訊いても、母が替わりに答えてしまって、「私は娘さんに聞いているんです」と怒られるくらいお喋りな人です。笑

父は天皇陛下を護衛する皇宮警察で勤務していました。ずっと剣道をして現在の最高ランクである範士八段まで登り詰めました。北海道警察に剣道で引っ張られ、私が3歳の時に札幌に移住しました。本来は3年の任期予定で北海道警察のエリート軍団機動隊に剣道を教えていましたが、何度も引き留められ、最終的には、北海道の剣道連盟の理事に就いて長く滞在しました。そんな偉い父でしたが、私にとっては “凄い人” というより、とても優しい身近な存在でした。73歳で他界した際、葬儀に全国各地から多くの方にご参列いただき、改めて “偉大な父親だったんだなぁ”と認識させられました。

その様な家庭の中で育ちましたが、高校では、一人の男の子が登校拒否になり、自ら命を絶った事もあり、たまたま私が違う男の子と仲が良かった事で濡れ衣を着せられ、クラスの女子から1年生後半から半年程、口をきいてもらえない時がありました。そんな中、高校のミスコンで準グランプリを取らせていただく機会もありましたが、それは表面的なもので、内心として、高校1年生の時は、精神的に試練、我慢の連続でした。高校2年生でクラス替えがあり、親友が出来たり、放送部で活動したり、ようやく普通の楽しい高校生活を送れるようになりましたが、結果的に、高校時代は精神的に鍛えられた時期だったと思います。

羽田空港にて

小5からのCAの夢、JAL時代から起業の転機

✅ スチュワーデスになったのはどの様な理由ですか?

スチュワーデスになると決心したのは、小学校5年生の時です。テレビのドラマでこの職業を知り、たまたま飛行機に乗る機会もあって、CAさんがとてもカッコ良く見え、セサミストリートや世界を回る旅番組も好きでしたので、「この職は制服を含めて華がある、いろんな経験が出来る!世界に行ける!」と思い、日本航空のスチュワーデスになると決めました。小学校の卒業文集には、「将来は日本航空のスチュワーデスになる!」と書いています。

その後、東京に出て、大学で英文英語学科に通っていましたが、新卒として就職活動の際には、JALは4次試験で落ちました。JALの4次試験は体力試験、その中の1項目ジャンプ力が情けないことに、12センチというありさまで、基準に満たなかったのです。でも他の企業に就職する気は100%無かったので、他の会社の内定を蹴って、航空語学アカデミーとうCA向けの語学学校でアルバイトをしながら、次の既卒募集を待ち、毎日縄跳びをしてジャンプ力をつける日々を半年間送りました。そして次の公募で9月入社となりました。アルバイト先の、アカデミーでは就職浪人の仲間がいて(結果的に彼女はKLMオランダ航空に行きました)お互いに切磋琢磨しあえるいい仲間でした。

もう一つ、思い出があります。それは、中学、高校時代、それぞれの担任の先生に、「私は絶対スチュワーデスになるんです!」と根拠なく言い続けていました。すると英語などの成績もそれ程良くなかったからか、先生達からは、「それは無理でしょう。夢は夢で留めようね」言われ続けていました。でも、その後晴れて内定をいただいた後に、高校の先生に「日本航空に合格しました!」という連絡をしたら、「私が間違っていた、すまない」と、謝られました。その頃、その先生は校長先生になっていらっしゃいましたが、その高校の全校生徒に初志貫徹をした私の話をしたらしいです。ちょっぴりくすぐったく嬉しい思い出です。

✅ JALのCAから起業に至った経緯を教えてください。

JALの勤務時は、仕事はとてもやり甲斐を感じていましたが、私自身本音を言うと、コミュニケーション能力がまだ未熟だったと思います。一人っ子で育ったことも理由なのかどうかわかりませんが、自分勝手で協調性が足りませんでした。CAの同僚と共に過ごす行動では、自分の行きたい場所を貫いたり、一緒に食事も行かず「寝ています」と言ったり。後にそんな点に気づき、常に改善し続けようと考え続けたのが、今の仕事に繋がっています。私自身の経験として、自分目線でコミュニケーションの重要さを痛感し、自己改善の努力をしたからこそ、それがチームワークや会社全体の活性化にも繋がる研修業に活かされていると思います。今は更に深掘りし、自己研鑽して皆様にお伝えしています。

結局JALでは、産休1年を入れて12年間ほど勤務し、2人目を産んで退職しました。その後は、名古屋のJALアカデミーで接遇のマナー研修の講師をしていましたが、主人の転勤で東京に戻った後、東京のJALアカデミーからのお話もいただきましたが、そこはお断りして、当時、JALの先輩の接遇会社で派遣講師として、さらに修行を積みました。また並行して、リゾートトラスト株式会社の営業職教育部門に携わったり、東京落合にあるホスピタリティ旅行専門学校でも一般教養やマナーを教えていました。

そんな中で、その専門学校のエアライン科の生徒達がとてもイキイキして輝いていて「私ももう一度CAとして飛べたらいいのに」と思っていた矢先、たまたま当時のJALウェイズで元CAの契約社員募集があり、受けてみましたら、ラッキーなことに採用されたのです。2年半ほど月に3回、路線限定でバンコク、ホノルル、ブリスベン、マニラ便を飛びました。

このような経験とともに、様々なセミナーで勉強や研究を繰り返し、私なりに剣道範士八段の父から学んだ「人間力」とJAL勤務などで学んだ「ホスピタリティ」を融合させたプログラムを構築して、今の研修や講演を開始したのです。

おもてなしの心が会社の雰囲気、業績を上げる

✅ 研修や講演を通して、どの様な変化が起こりますか

現在、「おもてなしの心」=「ホスピタリティ」=「相手を慮る心」で、現代人に失われたコミュニーケーションを取り戻すことを目的として、様々な業種の方々に研修させていただいております。レストラン、小売店舗、ショッピングセンターやホテル、銀行、病院等の接客業種だけではなく、トンネルや橋や線路などの点検を行う管理会社さま、建築士、不動産等、多種多様なジャンルの会社さまに研修しています。

研修を通して、昔の私のような(笑)自分勝手な人にも協調生が生まれ、周りに気遣いが出来る様になって、当たり前のことにも感謝するという気づきが生まれます。そうすると、会社内での人間関係も良好になり、会社の風土、雰囲気、風通しが良くなって、職場環境が改善されていくのです。

企業は人で成り立っています。その人を成長させることで企業が伸びていきます。コロナ禍でもこの研修プログラムを受けた後、増収増益の会社も増え、一度研修した会社さまには継続していただくことが多くなりました。

私の研修や講演は、年齢も様々で子供達対象の講座もあります。昨年も小中一貫の校長先生から「ぜひ子供たちに、今のうちから正しいマナーを教えてほしい」との要望があり、小学5年生から中学3年生の子供たちに、コロナ禍でオンラインではありましたが、90分ほどお話した結果、子供たちも正しくホスピタリティを理解し、きちんとした挨拶ができる様になったと、校長先生からお礼のお手紙もいただきました。また中学2年生が社会学習で地元の企業に1週間お手伝いに行くカリキュラムがあり、その際にも、受け入れ先の企業に失礼がない様にと、マナーを教える事もありました。その生徒が卒業式で「佐野先生にマナーを教えてもらったのが今でも心に残っています」と、答辞で読み上げてくださったとの嬉しい連絡もいただきました。

東京都の区の教育委員会で100人ほどの新任の先生に対して講義を行ったり、区役所の訪問調査員が区民の方に門前い払いされないように、第一印象を上げるコツやホスピタリティに関して講演したりと、お役所機関でもお話させていただいています。

加えて近年はテレビ番組のTBS “ひるおび” では、航空機で事故や問題があった際には必ず、出演したりコメントしたりと、メディアからお呼びいただく事もあり、活動の幅が広がっていることに対し、とても感謝しています。

株式会社プリサージュ 佐野昭子さん

徹底的に準備して、アドレナリンを愉しむ

✅ 仕事上での愉しみや、大変な部分、コダワリはありますか?

JAL時代は沢山の苦労の反面、良い想い出も、もちろんあります。パリ、ハンブルグ、コペンハーゲン三箇所のヨーロッパ限定滞在のステーションクルーとして、現地に3〜4ヶ月滞在する事もありました。私はパリが好きで大学ではフランス語も勉強していた事もあり、パリステイで採用され、クリスマス時期から3月末までの約4か月間、パリで過ごしました。クルー仲間でスイスのシャモニーへ遊びに行き、スキーをしたり、コテージで料理をしたりと、楽しい思い出がいっぱいです。ちなみにその時はテレビ番組「なんてったって好奇心」からも取材が入りました。時には厳しく、時には楽しい環境下で仕事が出来たことで、今の仕事のキッカケ、成長に繋がりましたので、大変ありがたく思っています。

コダワリに関しては、JAL時代も準備の大切さを痛感しましたが、独立後も準備には誠心誠意取り組んでいます。プロとして、準備は徹底してやります。長年研修業をしていますと、研修講演はある程度慣れますが、時間が短い1時間講演などは、相手にいかに伝わるかが重要ですから、難しいものです。原稿のスクリプトを書いて、時間を測って読んで、推敲し、それを何度も繰り返すということを、今でもやっています。会場の反応が悪い時、担当の方は直接言ってくださることはありませんが、自分の心の中では、明確にわかります。肩を落としてドンヨリ帰りたくありませんので、やっぱり準備は徹底的にしっかりすることにはこだわっています。

私は人前で話し出すとアドレナレインが出て元気になれる体質のようです。昔はどちらかというと、大人しい人間でしたが、結局人前で話すのが好きなのは、母のDNA、また人に教えて伝えたいと心底思うのは、父親のDNAが入っているからでしょう。

国内外で、今この瞬間を幸せに感じる活動を

✅ 将来的にはどの様な事をやっていきたいですか?

将来的にも今やっていることを更に充実させて、より多くのクライアント様にお役に立てればと思います。またコロナ禍でなかなか実現しなかった海外へも活動を広げていきたいと考えています。以前、ミャンマーに支社がある日系企業様で、ミャンマーに行って現地の方に日本の接遇を教える予定だったのですが、コロナで行けなくなりました。ミャンマーでは、自分より目下の人にはお辞儀をしないという文化があります。日本で仕事をしているミャンマー人には、自国の文化を尊重しつつ、日本の文化、マナーを伝えていますが、彼らにはとても新鮮に映るようで、それはそれで日本人の私としても、とても楽しいです。いつかコロナや社会情勢が落ち着いたら、ミャンマーに行って優秀な方に、素晴らしい日本の文化、室礼を理解していただけたらいいなと思っています。

また、私がいつも伝えている事、そしてこれからも伝え続けていきたいと思うのは「今、自分は幸せだということに気づきましょう」ということです。残念ながら「自分は今、幸せ」と思っていない人が意外と多いのが現実です。幸せは、ここにあるのに気づかないのです。幸せは主観的なもので、自分が幸せだと思えば、幸せなのです。当たり前に過ごしている日常、健康でいられる自分や家族、大切な人、おいしいものが食べられること、今日も安心して暮らせること、など全て幸せのはずです。

このように、今この瞬間を幸せだと感じる事ができたなら、目(眼差し)が自然と柔らかく、優しさがにじみ出て来るのです。人間は、頭の中で考えていることが、まず一番に目に現れます。マスクしていると、顔全体の笑顔は見ることはできませんが、感情が目に出るので、笑顔だということがわかります。ですから毎日の日常で、幸せを感じて、皆が優しい眼差しで過ごしてほしいと思います。

周りの人を優しさで包み込むものですから、これもホスピタリティなのです。少しでも多くの人に、幸せの連鎖が広がるよう、今後も、更に活動していきたいと思っています。

有難うございます!一見華やかそうなCA時代の苦労のご経験から養われた、おもてなしの心を国内外へ広げたい現代人が忘れつつあるコミュニケーションを改めて取り入れ個人、組織の幸せに繋げる。ギクシャクしがちな現在、是非多くの方が佐野さんの様なマインドを採れ入れて、円滑にお互いに人を思い遣れる社会に近づけるのを個人的にも強く願います。

佐野昭子さんのプロフィール

出身地:東京生まれ、北海道、札幌育ち

株式会社プリサージュ 代表取締役社長 

会社ウェブサイト : https://www.prisage.net/

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