完全紹介制、経営者向けインタビュー

日本展開企業

水野志音氏 株式会社 Space X 「Success Style Beauty Contest 主催 」

インタビュー運営会社:Passion & Partners Japan 合同会社

ハワイ生活で美容マインドが開花

✅ 水野志音さんが、美容業界に入るきっかけを教えてください。

三重の四日市で両親と姉一人の四人家族で育ちました。普通のサラリーマンの家系でしたが、母親が3Dアーティストでもあり、比較的自由な生き方を許してもらえる両親でしたので、中高時は漠然と、将来は会社員にはならないだろうな。と思っていました。

昔からネイルを含め ”美容”に関心がありました。大学は、金城学院大学、英語英米文化学科でしたので、海外にも興味があり、大学当時の1か月程の長期休みを利用して、ハワイのネイルスクールに通いました。ネイルでは、当時主流のアートが正直苦手でしたが、そこで同時に行ったハンドケアでのマッサージがとても気持ちいと評判があり、私はネイルよりエステ向きだよ。と言われたのが、エステの道に進んだ、きっかけでした。

ただ、4年制大学を卒業して、エステシャンになるのは勿体無いなと感じ、外資系の企業で採用され店舗で働きました。東京勤務希望でしたが、知らない土地の岡山配属となり、パワハラに近い経験を受け、食べられなくなり、電車も乗れなくなりました。その後、東京配属は認められましたが、それでもストレスは継続し、結局1ヶ月半程で退社しました。その後、暫く何もしませんでしたが、アルバイトをしながら、東京の社会人向けのエステ学校に行き始めたのです。

エステ学校時は、小顔サロンなどで務めましたが、そこは厳しい環境で、朝から終電間際の勤務、ゆっくり食べる時間もなくご飯も立って食べ、休日も転送電話番として気持ちが休まらず、手取りも14−15万程でした。姉と父と東京で三人で住んでましたが、貯金はほとんど出来ず、スタッフの中には給料日前はおにぎりだけ食べてる人もいました。エステの仕事は好きでしたが、体がついていかず、肋骨を骨折して、親指が腱鞘炎になった事で辞めました。肋骨を骨折したので、座れる携帯会社のコールセンターで半年ほどアルバイトで働きました。

身体が治った後、もう1回エステに戻ろうと、求人情報を見てましたが、業界の裏側を知っていたので、求人条件は鵜呑みに出来ませんでした。当時は疲弊しており、大学時代の様にハワイに行こうと考えてました。当時、東京で通っていたネイルスクールのオーナーはハワイでネイルサロンを経営している方でしたが、帰国すると聞き、東京で会いました。日本で疲れたので、ハワイに行きたいから誰か紹介して下さい。と頼むと、ハワイに行きたいのか?一流の技術を身につけたいのか?どちらをしたいのか?と聞かれ、技術を身に付けたいと答えたら、自分で仕事をすればいつでもハワイに行けるので、それならハワイで学ぶより日本にいなさいと言われました。確かに。と思い、そこから、筋膜リリースのメソッドを教えてもらう事になったのです。

当時は、筋膜リリースは世にあまり普及してなかったのですが、試しに体験して受けたら、これまでのエステの技術より半端なく結果が出まして、これなら自分でも出来るかも。と思い、27歳の1週間手前で、当時家族三人が住んでいた目黒マンション3LDKの一室で起業したのです。自分が寝ていた部屋をサロンにしたので、起業当時1年間は、リビングのソファーベットで寝ていました。笑

お母様の3Dアートと共に

くびれ専門の筋膜リリースサロン

✅ 女性専門として、どの様なサービスを行なっていますか?

女性のくびれに特化した美体造系筋膜リリースを行なっています。筋膜は全身に繋がってて、一箇所でも硬くなると、肩こりや腰痛など、硬さが痛みになってしまいます。筋膜リリースは通常、治療院、整体サロンで使われてますが、私は、長年痩身サロンで勤めていた事もあり、ボディーラインを整え、女性のくびれを作るのに利用しています。筋膜を緩めると曲線ができ、くびれが出来、美しいボディーラインが手に入るのです。

お客様としては、キャリアウーマンなど、既婚、独身でも自分の身だしなみに気をつけてる方が多く、一般のビューティーコンテストの前になると、コンテスト参加者が多く訪れます。期間は半年程からで、回数は6回と12回の選択で施術を行なっています。

不眠症、銀座移転、緊急事態宣言からの転機

✅ 起業後はいかがでしたか?

起業後に、父と姉が3LDKの家から引っ越しましたが、自分は一人で住み続け、お金もなく、不安で1年程不眠症が続いた時がありました。サロンも閉めようかと思いましたが、3LDKから実家に引っ越し、仕事はサロンに必要な1ルームのスペースだけにしようと思いました。ただ、狭くなれば周りに心配されるので、狭くなっても許される地域はどこかと考え、目黒から銀座に引っ越しました。ですので銀座移転は全く栄転ではないのです。

銀座に住む事でお客様層が変わり、その後、ある程度軌道には乗れました。2019年には個人的にマツコ会議のテレビ番組に出たり、事業の方も落ち着いて来ましたが、転機はやはりコロナでした。

コロナ禍での緊急事態宣言時は、銀座も本当に人が歩いていませんでした。お客様は郊外からや、医療関係者の方も多く、新規の方も来れなかったので、エステのオンライン化を図りました。リアルとオンラインのハイブリッド型エステサロンとして、月に6回オンラインで一緒にセルフケアを行なっています。今まで銀座に来れない方でも、1対1じゃなく、オンラインで一気に10−15人で海外からも含めて行い、例えば中国からもニーズがあったりと、お客様層の幅が相当広がりました。

オンライン化するとき、お金を払ってるのに、対面の施術ではなく、オンラインでセルフをさせるのは嫌がれるのでは?お客様も結果が出るのか? 当時は本当に怖かったですが、今となっては、ピンチがチャンスになったと思っています。

ビューティーコンテストの主催へ

✅ そこから何故、ビューティーコンテストを運営する様になりましたか?

元々、くびれ専門のサービスを行なっていたので、お客様の中でコンテストのファイナリストの方も多くいました。またコンテストに協賛をしていた事もあり、ビューティー系のコンテストの主催者の多くの方と仲良くしていました。綺麗になりたい以外でも、箔を付けたい、自分の人生や、ビジネスを成功させたい。との目的の方が多いのですが、お客様が、美とビジネスをしっかり両立させるのは、中々簡単ではないと、その部分で何か出来ないかとジレンマを感じていました。

コンテストで入賞して、その後でメディアに露出するより、コンテストの前から人気が出る方が良い訳で、プロモーション的にも、事前に仕込みが必要だと思っていました。賞を取った後の初めての告知では、既に遅く、”へー。そうなんだ” で終わってしまう事もあり勿体無いと感じていたのです。

オンラインなどで上がった利益を還元できる場を作りたいと思い、ビューティー系の著名人をクローズドのイベントで呼びイベントを企画する事を立案しました。美で箔を付けてビジネスも成功させたいのに、なかなか起業の方は成功しない。そんなジレンマを解消する為、自分でビジネスも後押しできる舞台を作るしかないな。と思いました。” 美”と “キャリア” をテーマにコンテストに挑んでもらえる形を自ら用意したのです。

0から1のスタートアップ企業を特に引き上げたいと思い、コンテストの参加者は、年商1000万以下、もしくは起業3年未満の方を対象にしています。知名度、影響力がなく、その為メディアからも取材がない。そんな状況からメディアに掲載させたい。と。そこで日経WOMEN様ご協力の元、コンテスト3位入賞者までは日経WOMEN掲載の確約が取れています。

コンテストは、2022年9月3日に羽田国際ターミナルで予定していますが、美しくなった上、披露する場所を作りたかった。ただ、まだコンテストやビジネス参加だとハードルが高いので参加しないけれども自信がない方、けれども自分を変えたい、綺麗になりたい方には、まずオープニングでランウェイを歩いて頂きます。その方達は次回は、舞台に立つ。観客で見ていた方は、次回はランウェイに立って頂く。私なんて。と諦めている人にも、美のバトンを渡していって欲しい。綺麗になったら次の人に還元して欲しい。と思っています。

今年に限らず、毎年やりたいと思います。いつかはラスベガスでもやってみたいと色々愉しんで想像を膨らましています。スポンサー様も募っていますが、著名人によるメイクセミナーなどを行うので化粧品関連の企業様、またサンプル提供も可能となるので40−50代に向けてPRしたい会社様も相性が良いと思います。単発的なイベントにおわらず、アフターフォローライブなどを通して企業の商品を伝えたり、継続的に繋いでいく事をしていきたいと思います。

https://contest.kinmaku-online-esthe.com/ Success Style Beauty Contest. 2022年9月3日開催

歳を気にせず、美もキャリアも挑戦して欲しい

 ビューティーコンテストを通してその先には何を目指していますか?

私は、結局何がしたいかと言いますと、一人でも多くの綺麗になってもらいたいというは当たり前ですが、自分のミッションは2つ抱えています。1つが、試着室でサイズが合わなくため息を付いてる女性を一人でも減らしたい。2つ目が、女性が腕一本で経済的に自立できるのを証明したい。その先には人生を謳歌したいゴールがあります。お金を生み出していければある程度の事は解決できる。経済的自立ができれば、恋愛の選択肢の幅も広がる。また綺麗に輝く女性が増えることで日本経済も活性化されると思います。痩せて美しくなれば、今で興味がなかった人でもネイル、ヘアサロンも行き始めますし、更に女性はテンションが上がり、ドンドン自己投資し始めるのです。輝く女性が増えれば、周りにも優しくなるし、心のゆとりも出来て、結局世界が平和になる。そう思っています。

私は、「 黒歴史をお金に変えろ」と良く言っています。皆さん、醜い過去は表に出したくないと思いますが、私の過去も恥ずかしいと思わず、ビフォーアフターとして見せています。暗い過去からの変化を見せる事でチャンスに変えて欲しいですね。

日本人は歳だから。と年齢を気にしがちですが、諦めないで、美もキャリアも自分の可能性に蓋を閉めないで欲しいと思います。若い方が将来に対して貪欲になれる様な、年齢を重ねたから良い味が出てきて輝き続ける女性、そんなロールモデルがより日本には必要だと思います。私も美容と起業を通して、少しでも女性が輝ける舞台を提供できればと考えています。

水野志音さんの銀座サロンにて。

有難うございます!美容関係で働いている方は多いのですが、そこからビューティーコンテストを立案し、著名人やスポンサー企業を巻き込んで形に出来るのはそう簡単ではなく、強いバイタリティーを感じました。まずは9月のコンテストが成功する事を望んでいます。興味ある方は是非、ウェブサイトも覗いてみてください。

水野志音さんのプロフィール

会社概要: 株式会社 Space X(スペースクロス)

ビューティーコンテストウェブサイト : https://contest.kinmaku-online-esthe.com/

〒 東京都中央区銀座2-13-18 アヴァンティーク銀座2丁目 404

出身: 三重県四日市市

出身校: 金城学院大学 英語英米文化学科 卒

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